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トリポリの3つの街


 

レプティス・マグナ


レプティス・マグナ、サブラタ、オエアはトリポリの3つの町です。

レプティス・マグナは世界遺産に登録された地中海沿岸の遺跡です。紀元前10世紀にフェニキア人が建設し、前23年頃にローマの植民市となりました。

523年にベルベル人の侵攻を受けて後、レプティス・マグナの街は砂漠に放棄され、1920年代になってようやく発掘が始まりました。1994年にはイングランドを中心とするさまざまな考古学調査機関のチームが新しい部分の発掘を行いました。発掘チームはロンドンのキングス・カレッジのファフェド・ワルダ博士のもとで、1969年にロンドンの考古学研究所を本拠とする英国在外調査機関として設立されたリビア学会の援助を受けて行われました。

現在見られる遺跡の保存状態はすばらしく、円柱、アーチ、彫像はそのままの姿で残っています。遺跡を訪れるお客様は古代の道路を歩きながら、壮大なモニュメントや建物の残る市場跡、住宅街を見ることができます。

 


サブラタ


サブラタの街はトリポリから車で1時間ほど離れた地中海沿岸にあります。紀元前6世紀にカナニット人により建設されました。アフリカ植民地の産物を輸出するフェニキアの貿易港として、サブラタは短命に終わったマッシニアのヌミディア王国の一部となり、2~3世紀にはローマの支配下に入りました。

レプティス・マグナと同様にサブラタはカルタゴ人の沿岸貿易の拠点として造られました。紀元前4世紀には集落化が進み、良好な天然港となる地形の条件も手伝ってサハラ貿易の拠点となりました。この集落は後にレプティス・マグナとオエアとならぶ(トリポリの)3都市のひとつとなります。

サブラタは3世紀に中央アフリカからガダメスとフェッザンを通ってもたらされる象牙の貿易港として栄えました。ヨーロッパから北アフリカに侵攻したヴァンダル人はサブラタを破壊した後放棄しました。533年にはビザンツ人が占領、再建し、精巧なモザイクの床を持つユスティニアス教会を建てました。

サブラタで発見された壁や公共建築の基礎のなかには市場、法廷、神殿がみられます。ローマ時代の顕著な遺構には競技場、リベル・パテル神殿、シラピス、イシス、ヘラクレス神殿、広場、劇場、講堂があります。広場と海の間のローマ時代の遺構の下層には、初期フェニキア集落の遺構が発見されています。

主だったモニュメントのひとつである円形劇場は、現在でも劇場やコンサートホールとして使われています。さまざまな公共浴場、神殿、泉があり、一級品のモザイクが見られます。ビザンツ人の遺構はヴァンダル人侵攻の後の再生の姿を示しています。サブラタもユネスコの世界遺産に登録されています。
(出典:www.libyalonline.com)

 


トリポリ

トリポリは古代人にオエアの名で知られていました。この名称は紀元前5世紀のリビアの部族の名前から来ています。そのとき以来この地はローマ、ビザンチン、イスラムといったさまざまな文明の活動の舞台となりました。

古代の最も重要なモニュメントは2世紀のマルクス・アウレリウスの門です。アル・アッサライア・アル・ハマラ城はさまざまな時代の記憶をとどめる。城には1世紀の柱やモザイクが使われています。

現在のリビアで最大の都市であるトリポリはイスラムの遺跡で有名です。メディナ、スーク、とくにモスクが知られています。



紀元前10世紀 紀元前814年

フェニキア人がレプティスとサブラタを建設 フェニキア人がカルタゴを建設

紀元前753年 紀元前193年 紀元前146年

イタリアでローマ帝国が興る


セプティムス・セヴェルスの治下でレプティスが栄える

紀元前75年

ローマ人がカルタゴを破壊

紀元前23年

トリポリタニアがローマの植民市となる

410年

ローマがレプティスを併合

523年

ヴィジゴットがローマを包囲
  レプティスを放棄