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ガダメス

ガダメスでは先史時代から数々の文化が栄えてきました。ガダメスの名を古代人はよく知っていました。後にガダメスはサハラ以南地域へのイスラム文化の伝播に関わることになります。そうした活動は20世紀まで続いたキャラバンがになっていました。

砂漠に造られたガダメスは伝統的集落の典型的な例をいまに伝えています。ガダメスはその独特な建築様式から「砂漠の真珠」と呼ばれています。ガダメスの家は各階が異なった機能をもっています。1階は倉庫、その上は通路、屋上階は女性専用とされています。ガダメスの家は目立つ赤と白のインテリアと、日干し煉瓦の感覚的な外見のほうで有名でしょういます。

 

ギルザ

ギルザはトリポリから南東の乾燥地帯にあり、シルテ湾の沿岸から120km離れています。2世紀のはじめにこの地域はローマ帝国の支配下に入りました。アフリカのローマ軍がガダメスや他の南部の独立部族と戦うために呼ばれました。ローマの定める税を払い、ローマ軍に物資を与えるようにローマ帝国が要求したことがもとになって、砂漠周辺地域の経済活動は活発になったと考えられています。

ディオクレティアヌス治下の4世紀に、トリポリタニアの領土は現在のチュニジアに当たる塩湖ショット・エル・ジェリドから隣接するキレナイカに拡大しました。先住部族をローマ帝国に統合するため、ローマ法が定められました。ギルザは4世紀前半に栄え、統治者の一族は沿岸部の市街地と緊密な接触を持っていました。また、フェニキア、リビア、ヌミディアの文化はギルザの建築や書字に見られます。

ギルザは1950年代に始めて発掘され、ローマ・リビアの多くの遺構が荒野で発見されています。14の記念塔、神殿、墳墓がこの地域で見つかっています。ギルザには2つのタイプの神殿墓があります。列柱があるものとアーケードつきの中庭があるものです。最大規模のものは古典的な壇に続く神殿の階段、動物の彫刻がついた複雑なフリーズ、ラテン・リビア語の碑文、上下階層のある霊安室があります。
ギルザの家の多くは複数階を持つ要塞になっており、中庭、貯水池、塔を備えていることもあります。こうした建物はローマ当局が退役軍人のために造ったと考えられています。この要塞型農場は地中海地方で現在でも見られる構造と同じもので、動物を1階で飼い、家族がその上に住み、飼料と穀物は最上階に貯蔵します。

 

ガート

リビアの南西部に位置するガートはトゥアレグ族には平和の地として知られています。この街は1世紀にラナの廃墟の上に造られました。14世紀からこの街はガートという名で知られており、多くの旅行家や地理学者の文献に出てきます。現在でもガートには昔の繁栄を伝える古代都市の遺構が残っており、一軒の価値があります。周辺には先史時代の洞窟絵画の傑作を見ることができます。

ナルート

リビアとチュニジアの国境の近くに位置する砂漠の街ナルートには、複数の階層を持つ穀物倉庫と伝統的な建築があります。

ゲルマ

 

ゲルマはガラマンテース文化の中心でした。最初の部族はジンキクラ山に定住しました。そこでは重要な古代遺跡が見つかっています。この町の人々は、地中海からサハラ地方へ続く貿易路を治めていました。

 

リビアのガラマンテース族はジンキクラ山のフェッツアン地方に住み着きました。彼らは農耕を行い、牛を飼いました。この部族はサハラ地方を支配し、戦車でガダメスやイドラルとニジェールの国境にあるタッシリ・ハガルまで行きました。ガラマンテース族は像とダチョウを狩る勇敢な戦士でもありました。

 

ヘロドトスの第四の書

東西5km、南北3.5kmの楕円形の街が広がっています。その町の遺跡にはウアトゥトの霊廟、共同墓地、モスク、3つの塔を持つ円形の要塞、門のある壁があります。

マタンドゥシュ

リビア南部のマタンドゥシュには先史時代の岩の彫刻があります。

 

紀元前5000年

ガラマンテース文化の最初の証拠

紀元前790年

ガダメス(後代にイダムスとして知られる)がカルタゴの占領を受ける

2世紀

ギルザがローマ帝国に併合される

3世紀

トリポリタニアの植民地がリビア中心地を含むようになる

7世紀

オクバ・ビン・ナファーがイスラムを伝える

1986年

ガダメスがユネスコの世界遺産に登録される