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ハンニバル |
カルタゴにおいてハンニバル(紀元前246年~同183年)より名の知れた将軍、政治家はいないでしょう。
ハンニバルは子供のとき、父親アミルカールと共にカルタゴからスペイン征服に出発し、義理の息子、ハズドゥルバルのもと、すぐれた兵士となりました。ハズドゥルバルの死後紀元前229年に、彼は古代フェニキア軍の総司令官に任命されます。その後直ちに、イベリア半島内で古代フェニキアの存在を拡大するための社会的、政治的プロジェクトを開始します。
ローマの度重なるスペインへの侵攻により、ハンニバルはローマに先制攻撃をしかけることを決意しました。スペインを218年に発ち、かの有名な象を使ったアルプス越えを経て、トレビア、トラジメノ湖、カンネーの戦いではローマ軍を次々に破壊していきます。ハンニバルが北アフリカのチュニジア中央に位置するザマで、紀元前202年にローマの将軍スキピオに敗れたときに戦争は終結しました。その後カルタゴは再興し、紀元前146年にローマに最終的に破壊されるまで繁栄が続きます。
残念ながら、ハンニバルとポエニ戦争について書かれた現存の文書はローマの歴史家によって書かれたものだけです。そうした事情にもかかわらず、ハンニバルは敵によってさえ偉大で人間味のある将軍として描かれています。 ハンニバルは兵士には略奪と破壊行為を禁じていました。彼はスピーチの際には常に神々に呼びかけ、敬っていました。家来には財宝を大切に保管することを命じており、金が欠乏したときもクロトーネ近くの女神ヘラの神殿にある金の柱を使用することを拒否しました。
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