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チュニジアの歴史
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チュニジアの歴史
チュニジアの歴史  |  フェニキア時代  |  ローマ時代  |  ビザンチン時代  |  イスラム時代  |  近代のチュニジアと第二次世界大戦
   
 


イスラム時代
 

 670年にアラブ人イスラム教徒、ケロアンを建設

北アフリカを西方に進んだイスラム軍は預言者ムハンマドの死後40年でケロアンの町を建設しました。今日、メッカ、メディナ、エルサレムに次いで、4番目のイスラム教の聖都です。ケロアンは、訪れる者に生きたイスラム都市を探索する機会を与えてくれます。起源を7世紀に遡る堂々たるグランド・モスクには、ローマ時代の列柱が組み込まれた巨大な礼拝堂と、地下には貯水池のある広大な中庭があります。ケロアンの城壁内にはあらゆる時代の建築様式のモスク、中世イスラムの学校、精神的指導者の霊廟、浴場、さまざまな伝統品を売るアーチ型屋根つきスークがあります。 ケロアンのグランド・モスク

 

 The Great Mosque at Kairouan

 ファーティマ朝のマハディア定住

909年にケロアンのアグラブ朝は、カリスマ的指導者マハディ率いる新興のシーア派グループに敗れます。マハディはファーティマ朝を興し、最初の首都を地中海の細長い半島に置きます。そこには敵対する近隣のスンナ派から王朝を守り抜いたすばらしい門が残っています。世紀末にはファーティマ朝は東進し、巨大な新首都をカイロに築き、イスラム世界に永久的な貢献をしました。

日、マハディアは美しく改装されました。10世紀のモスクと、ファーティマ朝時代の港、町中の絹織物の機織の音が人々の声に混じって聞こえてくる穏やかな小道を誇りにしています。

 


暗黒時代の光

初期イスラムはしばらくスース、スファックス、特にチュニスなどの洗練されたイスラム都市で繁栄しました。チュニスの中心は、なんといっても活気に満ちたアーチ型の屋根つきスークに囲まれた、8世紀のジトゥーナ・モスク及び大学の複合施設です。チュニスは、ヨーロッパ諸国が暗黒の時代に入るときに、光と学びの中心として拡大しました。チュニスはその全盛期をハフシッド朝下で迎えます。この王朝は町の城壁内に書店と学習機関を創設し、地中海全域を通じて1229年から1574年の間イタリアの都市と交易していました。

 イブン・ハルドゥーンの書いた世界史

1332年、チュニス・メディナの一家に、偉大なイブン・ハルドゥーンは生まれました。今日彼は東洋及び西洋で現代社会学の父として讃えられています。イブン・ハルドゥーンはジトゥーナ・モスク大学でイスラム教徒とギリシアの教師を教え、自分の周りで展開する新世界を理解することに取り組みました。彼の最初の意図は北アフリカの歴史を書き記すことでしたが、より幅広い歴史的文脈えを知らないことには何も理解しえないということに彼は気づきました。その結果、イブン・ハルドゥーンは世界史を記す際、過去と現在の一連の流れを驚くべき近代的な方法で調査しています。