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チュニジアの歴史
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チュニジアの歴史
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ローマ時代

 「アフリカ州」

古代カルタゴが紀元前146年にローマの手により陥落した後、現在のチュニジアのある地域は「アフリカ州」として知られていました。

この繁栄をきわめた州はローマ帝国の経済・文化にとってきわめて重要であったため、その名が大陸全体に与えられたといわれています。

 見事なローマの彫像

帝国にとっての小麦とオリーブオイル

アフリカの作物の豊かさは、上質の小麦を生産し、紀元前1世紀までローマ帝国全体の3分の2の需要を満たしていました。

オリーブオイルがヨーロッパのローマ帝国の州に流入すると、ローマの商業規則でアフリカからの小麦の輸出を2世紀まで制限しました。

たった1世紀の間に、オリーブの栽培はこれまた帝国の必要量の3分の2を供給するまでに拡大しました。

ローマ人の食卓と、家や神殿を照らした明かりに使われていたオリーブオイルは、チュニジアの国土に比類のない富をもたらしました。

 

 

 

贅沢なアフリカ州の町


オリーブの生産による収入で、豪華な家々が並ぶ見事な町が農業の中心地として飛躍することが可能となる。

今日これらの町の遺跡は今でも小麦畑やオリーブ園に囲まれ、離れた場所に残っています。

農業地帯の邸宅がその時代のものよりさらに大きくなってからは、古代チュニジアの居住者は、床や壁を特に細かいモザイクで埋めるようになりました。帝国が目にした最も美しいモザイクのひとつはエル・ジェムの住居跡のものです。この小さな町の豊かさは、今日でもローマの円形闘技場とほぼ同サイズの闘技場で有名ですが、オリーブオイルの生産を基盤としています。

 

 

水道橋と神殿

 ウティカの噴水のモザイク

 

チュニジアのローマ都市-カルタゴ、ザグアン、チュルボマジュス、ドゥッガ、マクタール、ブラレジア、スベイトラ、ウドゥラ、ハイドゥラ、シムトゥは、優雅な生活様式だけでなく、巨大な公共工事、重要な市民構造、宗教構造により特徴づけられます。

ハドリアヌス帝は、ザグアン山からカルタゴの貯水池まで約100kmもの距離を、真水を運んでいく水道橋の建設から事業を開始しました。この堂々たる水道橋はアラブ人によって保存され、その一部は20世紀まで使用されていました。

 

ローマ人にはスフェチュラとして知られるスベイトラの公共広場は、2世紀にジュノ、ジュピター、ミネルヴァの神々をたたえて建設されました。きわめて保存状態のよい3つの神殿が圧倒的な存在感を誇っています。